西本願寺御影堂は370年の歴史を持つ。現在も「平成の大修理」が行われている。

開祖・親鸞の木像が祀られている厨子の後ろにある二本の高さ6mの来迎柱の修復も取り上げられていた。彩色技師の仕事を見ていると、まず下地胡粉を作るのだが、貝を粉末にした胡粉に丹などで色をつけて膠を加えて混ぜ合わせ馴染ませる。

そして、「龍の鱗などを胡粉で盛り上げ、柱の装飾を立体的に飾る」ための「盛り上げ胡粉」の技法が用いられていた。

これほど盛り上げる飾りは西本願寺以外では余り見られないという。この上に膠をぬり金箔をはったり、極彩色の彩色がなされる。
これは、鏝絵の技法と非常に似ているのではないだろうか。富の集中した寺社なればこそできた技法だが、370年前に既に基礎があったと考えたくなった。

柱の前面は門徒が見る場所でであり「群青」が主体に使われている。それも山口県美東町の長登銅山の藍銅鉱が原石。群青60gで米一俵、「緑青」の十倍の値段という高価な顔料であり、中でも長登産のものは最高のものだったという。群青は国内では調達できず「平成の大修理」では外国産をつかうという。
一方で、来迎柱の裏側は「群青」に比べて粒子が見えない「藍泥」が使われたのだという。現在は顔料としての「藍泥」はつくられていない。実験的に作ると1トンの藍の液体から50gしか作ることができない。来迎柱では1kgの藍泥が使われており、胡粉にインド製藍を混ぜ合わせての対応していた。
これだけの素材を調達できた本願寺の力、作り上げた職人の技には改めて感服した。
お土産は“ぶぶ漬け”でイイですよ。(^^
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a4%d6%a4%d6%c4%d2%a4%b1?kid=114370
その頃にはうちのテレビは地デジ対応になっているのだろうか?
「京都に古くから伝わる独特の作法…”ぶぶ漬け食べなはれ”」こういう謎かけ、分からない (^^;)
http://www.tsurezuregusa.com/140/141.html
「関東の人は、実は、心に血が通ってなく愛情が軽薄で偏屈頑固」、ここまで言うか…。
神戸にお仕事で行ったとき、秋田からきたというだけで、なんと僻地からいらっしゃったという反応をされて、関西人からみると、いまだに"蝦夷"という言葉の方が分かりやすいのかもしれないと思いました。
そういえば「東北熊襲発言」なんてものもありましたね。
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