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冬はスキー(棲息地:太平山オーパス)、乾燥路は自転車で体力維持する親父の記録 食べ物…いやしい系(^_^;) 意外にアート好き、最近は鏝絵(こてえ)と土蔵に野草や花に興味あり
鏝絵(こてえ)られねーなー 拾弐の壱(速報)五城目高崎舘岡家
 9月14日の夕方、前日に撮った五城目館越の土蔵写真が手ぶれがひどく手取り直しに行った。
 その帰りに五城目の市街地の外れ高崎付近を通りかかると、土蔵が呼んでいる。小路を見ると小振りだが、傷みの少ない土蔵がある。近づいていくと、なんと素晴らしい龍の鏝絵がある。夕暮れが近いので急ぎ撮影して、小路の奥に入っていくと、立派な茅葺きのお屋敷の中にも土蔵がある。家の前では二人の女性が立ち話中であり、後で撮影することにしてさらに奥に入るとまた土蔵がある。下半分が「黒板塀」でZizouさんの好みかな、と撮影。時間も遅くなるので戻ろうとすると、先程の女性が手を振って呼んでいる。「蔵の写真を撮っているの、興味があるの。手前の蔵はみました、うちの蔵、明治25年に立てられたもの。子供の時には龍の眼がもっと光っていて怖かった。この小路を保護するようにしたい」など話を聞く事ができた。
 この一帯は、同じ名字の舘岡家が並んで建っているとのこと。真ん中の茅葺きの家の入り口には大きな欅の木が7、8本生い茂り、丸い踏み石、苔むした庭など何とも風情がある。いずれ明るい時間帯に再訪したいので宜しくと断りをいれておいた。
 先程の龍の鏝絵のある舘岡家に戻って、昭和27年に女性のご尊父が書き留めた土蔵の由来を書いた文書を見せて頂いた。主(3代目舘岡梅五郎氏)が、土崎港町の左官棟梁「菅原千代松」氏を呼び寄せ、五城目の左官4人と一緒に仕事をしたという。なお、大工棟梁は「富津内村富田の原田貞助」氏。なお、昭和27年には、工事に弟子として加わった五城目町「澤田石豊吉」さんが存命で話を聞いたとのことだった。
 この土蔵を見に来る人からは「土蔵は鏝絵があるかどうかで格が違う」と言われる、鏝絵だけで土蔵と同じ位の費用がかかったらしいと聞いた、近くの高齢者、といっても実際に見たわけではないはずだが、の話では「鱗一枚に一日費やした」ことなど教えて頂いた。また、五城目の桜庭喜幸さんという現役の左官の方は、県内で唯一の鏝絵作家で、五城館の2階ギャラリーで平成18年8月12日~20日に個展を開いていたこと、鏝絵の修復(旧家では家の中に凄い鏝絵があるとのこと)を一手に引き受けているという情報も頂いた。桜庭さんからは「ここの龍は日本でも3本の指に入る」と評価されたとのことだった。
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 この土蔵とこの五城目「蔵しっくロード」(元祖増田町を上回るのでは…)については、もう少し良い写真を撮ってから改めて紹介したいので、画像はさわりだけで…。
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