国際結婚の斡旋業?


「米屋」ではなくて「主食販売店」というこだわりは…。

ムーミンパパのシルクハットかと…。
Uの上はムーミンママのティアラかな〜。

立派な門扉、「梅○忠○」の表札が残されている。秋田市議会副議長を務めた方??
邸宅が残っていれば、いかばかりだろうかと思った。

【追記】かみさん曰く、秋田で梅津といえば「梅津政景」、佐竹氏の家臣で秋田藩の創設に尽力した人物。政景の書いた『梅津政景日記』は、秋田藩の藩政や、当時の武士や庶民の生活を知るうえにおいての貴重な史料となっている。
秋田市添川、県道に背を向けている胸像。

鬼の夫婦?奥さんの方が恐ろしい形相…
どこも同じかと…くわばらくわばら…

【追記】
地方点描:梅津家墓所[秋田支局]
さきがけonTheWebより
現在、秋田市楢山金照町にある萬雄寺(ばんのうじ)は、かつて秋田藩の家老だった梅津家の菩提寺として知られる。もともと明治時代までは下北手桜地区にあったが、その寺の跡地は大規模な宅地造成で様子がすっかり変わり、今訪れてもどこにあったか、はっきりしない。
ためしに辺りの山を歩いてみると、今も峰沿いのあちこちに墓石が残り、そこがかつては萬雄寺の裏山だったことをうかがわせる。その一角に真新しい墓誌が、風化した十数基の墓石とともに立っている。梅津家墓所である。
明治時代に寺が楢山に移転すると、桜の墓所は長い間荒れるに任せられていたらしい。大正時代に書かれた「河辺郡誌」に「境内は荒廃し、数十の墓石、草間に点在するのみ」とある。荒廃した状態はつい最近まで続いていた。
あちこちに散らばっていた墓石が1カ所にまとめられたのは、1993年になってから。梅津家直系の子孫に当たる岩崎理和子さん(故人)の執念だ。寺の楢山への移転から実に100年がたっていた。
だが理和子さんは97年に亡くなり、夫敦さん(75)は神戸市に転居。地元に墓所を供養する人がいなくなってしまった。これを心配した桜地区の住民が先日、墓所の清掃や草取りなどの整備活動を買って出てくれた。老人クラブ「桜寿会」(佐藤良介会長)メンバーだ。
桜地区は梅津家の知行地があった縁で、江戸時代を通じて密接な関係が続いていた。だが最近ではそんな過去を知っている住民も少なくなった。いったん希薄になったきずなが、100年の歳月を経てふたたび強まったことに不思議な縁を感じる。
(2009/05/30 13:02 更新)
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