4月27日の昼食後に、かみさんと奈良家と県立博物館へ。
奈良家に入ろうとすると、山吹が飾ってある。「軒の山吹」は5月3日〜7日の期間限定のはずだが、もしかして…。

おぉ〜っ〜、「軒の山吹」だ。

表玄関。

土間の入り口。

学芸員の方から、飾った今日が一番きれい、時間と共に花が散ってしまうとのことでした。
受付にはなかったのですが、奧から分布マップを持ってきてくださいました m(__)m。
なお、分布マップは県立博物館の受付には置いてありました。
県立博物館の企画展「あきたの街道を歩く」(4月26日〜6月22日)を見終えて、受付でパンフレットをみていると「山吹のマップが欲しくて」という大きな声が…。むさんでした。
【追記】むさんの今日の「花を尋ねてドライブ」(軒の山吹を含む)。
この季節、街のあちこちで鮮やかな黄色の花が咲いているのを目にする機会が多い。たいていはレンギョウだが、まれに山吹のかれんな花がひっそり咲いているのを見掛ける。先日、秋田市金足の県立博物館を訪れた際も、正面玄関前に植えられた数本の山吹の幼木が小さい花を咲かせていた。職員に尋ねると、金足地区では数年前から「山吹の里」づくりが行われているという。
27日には地元住民が近くの旧奈良家住宅(国指定重要文化財)の軒下や付近の商店街で山吹の飾り付けを行った。地元児童が確認しただけでも、地域には31カ所に山吹が咲いており、博物館から旧奈良家住宅に至る道なりに山吹を植えて「山吹ロード」にする構想もあるという。
江戸後期の紀行家・菅江真澄の「軒の山吹」に登場する一帯は文字通り「山吹の里」。1811年3月下旬から6月上旬にかけて訪れた真澄の眼前に広がっていたのは、母屋はいうにおよばず、小屋やかわやまで屋根という屋根に山吹を飾り付けていた光景だった。
真澄は「そのよし(由来)さだかならねど」と記していて、起源はよく分からない。が、潟上市の北野天神の氏子らが、旧暦3月25日の宵宮(よいみや)に団子と山吹で屋根を飾ったとの伝承があり、そこら辺が由来かもしれない。
昔から山吹は水と合わせて詠まれた俳句が多い。山吹の黄金色は水面で最もさえる。金足地区には真澄に同行した藩校明徳館の助教・那珂道博が「佳景詩にし難く云(うん)々(ぬん)」と絶賛した小泉潟がある。それを背に山吹が咲き誇るさまは一幅の桃源郷絵巻である。
(2008/04/30 08:56 更新)
菅江真澄「軒の山吹」を再現 旧奈良家住宅、鮮やかな黄色に
さきがけonTheWeb

黄色い山吹の花で飾り付けられた旧奈良家の軒
江戸時代の紀行家・菅江真澄が200年前に紀行文「軒の山吹」に記した、家の軒に山吹の花を飾る風習が、秋田市金足の県立博物館分館旧奈良家住宅(国指定重要文化財)で再現されている。5月1日まで由緒ある黄色い花の飾り付けを楽しむことができる。
同館の職員と同館ボランティア「アイリスの会」のメンバー計14人が、近くの群生地から軽トラック2台分の山吹を摘み、旧奈良家のかやぶき屋根の軒に飾り付けた。残った山吹はペットボトルを切って作った“花瓶”に生けて、旧奈良家周辺やJR追分駅と周辺の商店にも飾った。
真澄は1811(文化8)年3月から6月にかけて秋田市北部や男鹿市、潟上市などを訪ね歩き、見聞きしたことを「軒の山吹」に記録。3月24日の項には、軒に山吹の花を飾る金足地区の風習について触れ、「ヤマブキを折りて(中略)ひしひしと葺(ふき)たるは、あやしうも又めづらしかりき」と記している。真澄が紀行文の題名を「軒の山吹」としたことからも、この風習が強く印象に残ったことがうかがえる。
(2008/04/29 14:12 更新)

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