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冬はスキー(棲息地:太平山オーパス)、乾燥路は自転車で体力維持する親父の記録 食べ物…いやしい系(^_^;) 意外にアート好き、最近は鏝絵(こてえ)と土蔵に興味あり
熊野神社の彫刻
 6月2日のマイ・グランフォンド秋田、由利本荘市岩城の熊野神社(旧岩城町指定文化財として指定されているとのこと)の彫刻は素晴らしかった。
 拝殿正面、鳳凰・龍・象・獅子
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 拝殿正面の彫刻を側面から。
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 象と獅子の木鼻、力神(力士像・鬼)。「寺尾の張り紙」の謎は?
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 稲荷神社(?)。
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 稲荷神社(?)正面の龍・象・獅子
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 稲荷神社(?)の「鯉の滝登り(?)」は鏝絵でも定番、玄武(亀)?。
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 趣のある石段
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おいなりさんの旅 其の六 追加編
 2006年6月に回った大町を中心にした「おいなりさんの旅」。
 3月4日の街乗りで見逃していたお稲荷さんを見つけた。
 「満光稲荷神社」、場所はここ
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 小さい神社なのに3組の狐が並んでいる。一番新しいものは戯画的で巻物と宝玉をくわえていた。
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「国宝・投入堂の謎〜修験の山 三徳山の祈り〜」
 NHKの1月2日(1月8日:再放送)に放送された「国宝・投入堂の謎〜修験の山 三徳山の祈り〜」。
 初めて知った 投入堂 (なげいれどう)だったが、建築・神社・仏像・文化として見応えのある番組だった。
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 鳥取県の山奥にある修験者の山、三徳山。九つのお堂が並んでおり、終着点が国宝指定の三佛寺奥の院・投入堂。
 投入堂は1300年前の慶雲3年(706)に、役行者(えんのぎょうじゃ)が法力で岩の窪みに投げ入れたと伝えられたことに由来する。しかし、いったい誰がどのようにして建てたのか?
 斉藤由貴の案内で「かずら坂」を登り切ったところで辿り着く「文殊堂」、清水の舞台を思わせるような立派な建物。そして狭い道を進み「観音堂」の後ろを通って身も頃路も清められ、その先に「わ〜すごぃ、信じられない、なにこれ〜、これは、これはすごいわ」と白木の質素な建物「投入堂」が現れる。建物は右側の「投入堂」と左側の「愛染堂」が組み合わさった左右非対称な独特な形式。平成13年に行われた年輪年代測定では、11世紀末までに伐採された木材を使用していることが分かり、1100年迄に建てられたことになる。
 投入堂には蔵王権現が祀られているが、蔵王権現は末法の世において仏の教えを守る守護神であり、末法思想が流行した京の都の貴族が支援して、これだけの技術と財力が集まったという。
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 一昨年に行なわれた「文殊堂」の修復工事では、太さ18cm、最長で7.8m、重さ300kgの柱は麓で加工され、小さなモノレールを使って運び上げる方法が取られた。平安時代に全てを人力で行われた事を考えると想像を絶する。
 投入堂は、長短合わせて16本の柱がささえているが、八画〜丸に加工されて優美に見えるようになっている。そして、垂木にいたるまで樹齢数百年の四方柾目の檜…今では手に入らない当時でも最高級の木材が使われている。
 建設手順は、お堂の中心部分を造り、蔵王権現像を安置し、周囲の岩場に柱を立てて縁側を造り左右に張り出した屋根を造り、造築の痕跡がないことからさらに左側の愛染堂も一連の工事として出来上がったと考えられるという。
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 昨年になり明治36年に岡倉天心が投入堂を訪れたときに「かつて外側は丹で外は胡粉で塗られていた」という記載が見つかった。そして屋根の修復の際に塗装の顔料であるベンガラと胡粉の跡も発見され、壁板は白く柱などは赤く塗られていたと考えられた。また組み合わさった桁と柱に塗装が残っていることから、後で塗装されたのではなく建立当初から華麗に彩られていた可能性が高いことや、垂木の先端部分に「花菱文」の透かし彫りの金の装飾金具が施されて荘厳性を増していたことも分かった。
 では何故、赤く彩られたのか?末法思想の中で生まれた極楽浄土への憧れを表したのだという。
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 「今も昔と変わらず神秘の力があると信仰を集める三徳山投入堂、人々の救いを求める心が造りだした祈りの象徴は、山中の断崖絶壁に今もその美しい姿のまま立ち続けている」とまとめられていた。

 西本願寺の大棟獅子口といい、投入堂といい、先人の創造力と技術を知るにつけ、日本人は本当に進歩しているのだろうかと考えさせられる。

 最後にどうでも良いことだが、落書きだらけの投入堂の落書きに「秋田市」と読める文字があった、TV画面ではもっと明瞭で、国宝になる前に立ち入り出来る時期の落書き、書いた人は分かってニンマリでしょうね。
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 三朝町のHP◆三徳山・投入堂を世界遺産に!◆
七福神
7_fune1.gif 七福神、イラストを見ても名前をいうことが出来なかった orz
 良い機会なので安易に Wikipedia で確認した。

 七福神(しちふくじん)とは、福をもたらすとして日本で信仰されている七柱の神である。
 一般には恵比寿、大黒天、毘沙門天、寿老人、福禄寿、弁財天、布袋の七柱の神とされる。但し、寿老人と福禄寿はともに南極老人の化身とされることから、この二者は本来同一のものとみなし、寿老人の代わりに吉祥天や猩猩が入れられたことがあった。これは関西から始まったもの。誰がいつこの顔ぶれに、と定めたのかは不明。時代によってこの顔ぶれに異同がある。猩猩、稲荷が外れたのは、人間の姿ではなかったためとも言われている。
おめでたい存在とされ、七福神めぐりが行われたり、正月に枕の下に七福神の乗った宝船の絵を入れておくと良い初夢が見られるなどとされている。
 イラストは「ぱたぱたアニメ館」から
広小路が鳥居に
 秋田県立図書館に向かう途中で、たふらんけさんの「広小路に魔除けの結界?」を確認することにした。
 広小路に入ったとたん、本当に鳥居だわ。いくらおいなりさん巡りが好きでもこれはいけません。
 確かに「木内」前は濃緑色
 わか杉国体の前に、スギッチ色に戻したほうが…。
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宝川保食(ウケモチ)神社・河辺賀茂神社・雄和八幡神社
 9月29日の鏝絵捜しサイクリングで見つけた神社。
 いずれの神社にも、立派な龍の彫刻があった。
  秋田市下北手宝川 保食神社
  秋田市河辺    賀茂神社
  秋田市雄和    八幡神社

 振り返ると、青龍神社に行ってから龍にお目にかかることが多くなったようで、御利益か。

 【追記】2006.10.4 別々のエントリーに分けました。
秋田市下北手宝川 保食神社(うけもちじんじゃ)
 9月29日の鏝絵捜しサイクリングで見つけた神社(1/3)。
 宝川の「保食(ウケモチ)神社」。いつもは県道を走り、神社のあることすら気が付いていなかった。立派な龍の彫刻があった。
【追記】Zizouさんから読み方を教えて頂きました m(_ _)m。元ホジナシは(ホジキ)かなと思っていました(^^;)。おデザの五穀の神、食物の神様でした。
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秋田市河辺 賀茂神社
 9月29日の鏝絵捜しサイクリングで見つけた神社(2/3)。
 河辺中学校の近くにある「賀茂神社」。ここの彫刻は素晴らしい。
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 龍や獅子だけでなく火伏せ「水=波」の文様まで、気迫が伝わってくる。
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秋田市雄和 八幡神社
 9月29日の鏝絵捜しサイクリングで見つけた神社(3/3)。
 雄和の「八幡神社」、近くの「八幡神社」と同じく馬が祀られているが姿勢が違っている、また馬頭観音などの碑はなかった。ここの彫刻もまた立派。
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 龍と獅子の迫力に圧倒される。
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唐松神社
 五城目町高崎の館岡家の記録に、左官棟梁「菅原千代松」氏の仕上げ土蔵が「仙北郡境の唐松神社土蔵」は現存しているときく(昭和27年)との記載があり、9月23日に自転車で確認に行った。
 唐松温泉には何度か行った事があるが、唐松神社は初めて(^_^;)。
 参道には樹齢300年以上の見事な杉並木(県天然記念物指定)。
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 安産と子授けの神様として親しまれている唐松神社の奥殿は室町時代に作られ立て替えられてきたとのこと。参道よりも下にあることも特徴で諸説あり。他では見られないような急峻な屋根が印象的で、獅子の彫り物は迫力がある。
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 宮司宅庭内に、池に囲まれ積まれた石の上に唐松山天日宮がある。
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 お目当ての土蔵は社務所の隣にあったが、鏝絵は見つからなかった orz。
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 お手水は龍の口から水が流れ出すようになっている。以前は他の土蔵に「菅原千代松」作の龍があって模して作ったものではないかと、勝手に想像してみる。
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 ここの社務所の屋根の曲線は実に美しかった(奈良家の入り口もこのアーチだったような…)。
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