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冬はスキー(棲息地:太平山オーパス)、乾燥路は自転車で体力維持する親父の記録 食べ物…いやしい系(^_^;) 意外にアート好き、最近は鏝絵(こてえ)と土蔵に野草や花に興味あり
だるまさん祭り 宵宮
 今日は福一満星辻神社のだるまさん祭りの宵宮だった。
 朝9時過ぎに通りかかると既に人が出ていた
 夜の出店が楽しみなのだが、11時過ぎの早い時間に行ってみるとビックリ。参拝客の長い列が100m以上延びて旧ダイエーに繋がる道で折れてまだ続き、整理の人まで出ている。
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 早々と参拝とだるま購入を諦め、昨年のだるまを納めるだけにしようと思ったが、この列の中に割り込む訳にもいかない。
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 まあしょうがないと振り返ったら、そこに「だるま納処」が設けられていた。
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 神社の近くの桜もかなり開いていた。
 だるまさんと桜が一緒に咲くというのは、何だかおかしい気がするな〜。
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二〇世紀ひみつ基地「だるま祭りの宵
 「だるまさん祭りは、春一番の屋台がとても楽しみでした。学校から帰ると真っ直ぐに出かけ、お金はないので、屋台を見たり、的屋のお兄ちゃんと仲良くなって崩れたかたぬ菓子で遊ばせてもらったりしました。最近は暖冬傾向で千秋公園の桜が早く咲くようになったので、だるまさん祭りとの間隔が狭くなりましたが、以前は随分と期間があいていて、もうすぐ春になるなという感じの時期でした」

二〇世紀ひみつ基地「沈丁花の香りはダルマ祭りの記憶とともに
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柳田のけやき
 先日、久しぶりに柳田の旧道を通り、火結神社に立ち寄った。
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 樹齢800年を越えるという「柳田のけやき」。
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 社殿と並んだ位置にケヤキはある。
 菅江真澄も見上げたであろう大きな樹。
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 その手前のケヤキも立派な物。
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 火結神社、久しぶりで読めなかった (^^;)  →ほむすび
 この近くの石動神社も読めないよな〜   →いするぎ
 宝川にある保食神社も読めない      →うけもち

 「図説秋田市の歴史」の中のコラムでも紹介されていた。
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森吉神社
 8月4日の阿仁ゴンドラで行く森吉山。
 山頂駅から歩き始めるが、、気温は30℃近くで蒸し暑い。他の登山者と違い、山に登るよりも涼みに来たという不心得者なのでキビシイ。20分ほど歩いて石森までたどり着くと、風があって涼しく感じる。
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 かみさんは降りて冷たい素麺を食べようと言うが、平らな道の先に建物が見える。地図で確認すると、向こうの山が一の腰、手前にあるので森吉神社と避難所だろう。あそこまでなら行ってもいいという許可が出た。
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 ほぼ平坦路を進んで森吉神社に到着。
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 入り口には熊に注意があった。
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 中に入ってお賽銭をあげる。祠内に銅板がある。屋根を葺くためだろうな〜。
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 外に出て屋根をみると今も作業中。
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 神社の裏手には本当に自然にできたの?と思うような大きな石が積み上がっている。これが神社のご本尊?→帰って調べると「冠岩」でご神体だった。
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 冠岩の手前には歌碑がある。「連瀬沢 滝音ききつつ 登りゆけば もろびの匂いす 前岳近く」とあるが、作者が分からなかった。
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 避難所もまだ新しそうな建物。
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 中も覗いてみた。
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 帰り際、かみさんに「さすがにここには菅江真澄の足跡はなかったなぁ」と話した。
 家に帰ってから、菅江真澄は森吉山に二回登山して、冠岩手前の歌は菅江真澄の詠んだものと判明 (^^;)。いやぁ、いつもながらその健脚にはびっくりさせられるなぁ〜。

 「菅江真澄は2度森吉山に登っており、1度目は降雪があり二ノ又から森吉神社までの登山となった。2度目は様田から山頂を経て、栩木沢に降りている」(Wikipediaより)。

 「もろび」とは、青森とど松のことで、家人が危ないところに行くとき、神棚に上げた青森とど松を燃やしその香りでお払いをするという風習で、その香りは、大変良い香りとのこと。
中尊寺 能楽堂
 11月27日に訪れた中尊寺。
 個人的に最も惹かれたのが「能楽堂」。
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 苔むした萱葺き屋根の下に、大きな能舞台。
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 障壁画も残っている。
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 何より能舞台と渡り廊下が交わり、直角に交わる大きな萱葺き屋根に支えられである姿にほれぼれ。
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中尊寺 金色堂・旧覆堂
 11月27日に平泉の中尊寺を訪れた。
 確か小学校5年の遠足(昭和40年?)、昭和55年夏に来ている。しかし、むすめ達を連れて来た記憶がない(毛越寺には連れてきた)。

 金色堂は、金色に輝く紅葉が迎えてくれた。久しぶりに見て金箔よりも螺鈿細工が凄いなぁと思った。
 金箔は普通よりも一回り大きく、純度も通常の94%より高い純度97%、厚さは3倍、6万4千枚が使われているとのこと…(12月1日のあさイチの解説)。
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 遠足の時には、金色堂覆堂はまだシートで隠されていたような記憶。
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 今は世界遺産になって一躍注目を浴びている中尊寺だが、遠足の時には金色堂の修復が終わった直後で、遠足の目的地に選ばれたのだろうな~。しかし、小学生には、魅力的には映らなかった…。
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 覆堂の木組みや…。
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 その高さに、改めて感心した。
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 讃衡蔵って何?初めて入った?…中尊寺の宝物殿だった。国宝や重要文化財が多数納められてあった。
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おみくじ
 11月27日に中尊寺を訪れた。
 懐かしいおみくじの機械「巫女人形おみくじ自販機」があった。
 「本日はお休みします」に、和んだ。
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 「巫女人形おみくじ自販機」については、二〇世紀ひみつ基地の「木内デパート展望塔・巫女人形おみくじ自販機」に詳しい紹介があります。
熊野神社の彫刻
 6月2日のマイ・グランフォンド秋田、由利本荘市岩城の熊野神社(旧岩城町指定文化財として指定されているとのこと)の彫刻は素晴らしかった。
 拝殿正面、鳳凰・龍・象・獅子
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 拝殿正面の彫刻を側面から。
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 象と獅子の木鼻、力神(力士像・鬼)。「寺尾の張り紙」の謎は?
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 稲荷神社(?)。
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 稲荷神社(?)正面の龍・象・獅子
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 稲荷神社(?)の「鯉の滝登り(?)」は鏝絵でも定番、玄武(亀)?。
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 趣のある石段
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おいなりさんの旅 其の六 追加編
 2006年6月に回った大町を中心にした「おいなりさんの旅」。
 3月4日の街乗りで見逃していたお稲荷さんを見つけた。
 「満光稲荷神社」、場所はここ
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 小さい神社なのに3組の狐が並んでいる。一番新しいものは戯画的で巻物と宝玉をくわえていた。
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GT MTB SLICK
「国宝・投入堂の謎~修験の山 三徳山の祈り~」
 NHKの1月2日(1月8日:再放送)に放送された「国宝・投入堂の謎~修験の山 三徳山の祈り~」。
 初めて知った 投入堂 (なげいれどう)だったが、建築・神社・仏像・文化として見応えのある番組だった。
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 鳥取県の山奥にある修験者の山、三徳山。九つのお堂が並んでおり、終着点が国宝指定の三佛寺奥の院・投入堂。
 投入堂は1300年前の慶雲3年(706)に、役行者(えんのぎょうじゃ)が法力で岩の窪みに投げ入れたと伝えられたことに由来する。しかし、いったい誰がどのようにして建てたのか?
 斉藤由貴の案内で「かずら坂」を登り切ったところで辿り着く「文殊堂」、清水の舞台を思わせるような立派な建物。そして狭い道を進み「観音堂」の後ろを通って身も頃路も清められ、その先に「わ~すごぃ、信じられない、なにこれ~、これは、これはすごいわ」と白木の質素な建物「投入堂」が現れる。建物は右側の「投入堂」と左側の「愛染堂」が組み合わさった左右非対称な独特な形式。平成13年に行われた年輪年代測定では、11世紀末までに伐採された木材を使用していることが分かり、1100年迄に建てられたことになる。
 投入堂には蔵王権現が祀られているが、蔵王権現は末法の世において仏の教えを守る守護神であり、末法思想が流行した京の都の貴族が支援して、これだけの技術と財力が集まったという。
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 一昨年に行なわれた「文殊堂」の修復工事では、太さ18cm、最長で7.8m、重さ300kgの柱は麓で加工され、小さなモノレールを使って運び上げる方法が取られた。平安時代に全てを人力で行われた事を考えると想像を絶する。
 投入堂は、長短合わせて16本の柱がささえているが、八画~丸に加工されて優美に見えるようになっている。そして、垂木にいたるまで樹齢数百年の四方柾目の檜…今では手に入らない当時でも最高級の木材が使われている。
 建設手順は、お堂の中心部分を造り、蔵王権現像を安置し、周囲の岩場に柱を立てて縁側を造り左右に張り出した屋根を造り、造築の痕跡がないことからさらに左側の愛染堂も一連の工事として出来上がったと考えられるという。
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 昨年になり明治36年に岡倉天心が投入堂を訪れたときに「かつて外側は丹で外は胡粉で塗られていた」という記載が見つかった。そして屋根の修復の際に塗装の顔料であるベンガラと胡粉の跡も発見され、壁板は白く柱などは赤く塗られていたと考えられた。また組み合わさった桁と柱に塗装が残っていることから、後で塗装されたのではなく建立当初から華麗に彩られていた可能性が高いことや、垂木の先端部分に「花菱文」の透かし彫りの金の装飾金具が施されて荘厳性を増していたことも分かった。
 では何故、赤く彩られたのか?末法思想の中で生まれた極楽浄土への憧れを表したのだという。
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 「今も昔と変わらず神秘の力があると信仰を集める三徳山投入堂、人々の救いを求める心が造りだした祈りの象徴は、山中の断崖絶壁に今もその美しい姿のまま立ち続けている」とまとめられていた。

 西本願寺の大棟獅子口といい、投入堂といい、先人の創造力と技術を知るにつけ、日本人は本当に進歩しているのだろうかと考えさせられる。

 最後にどうでも良いことだが、落書きだらけの投入堂の落書きに「秋田市」と読める文字があった、TV画面ではもっと明瞭で、国宝になる前に立ち入り出来る時期の落書き、書いた人は分かってニンマリでしょうね。
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 三朝町のHP◆三徳山・投入堂を世界遺産に!◆
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七福神
7_fune1.gif 七福神、イラストを見ても名前をいうことが出来なかった orz
 良い機会なので安易に Wikipedia で確認した。

 七福神(しちふくじん)とは、福をもたらすとして日本で信仰されている七柱の神である。
 一般には恵比寿、大黒天、毘沙門天、寿老人、福禄寿、弁財天、布袋の七柱の神とされる。但し、寿老人と福禄寿はともに南極老人の化身とされることから、この二者は本来同一のものとみなし、寿老人の代わりに吉祥天や猩猩が入れられたことがあった。これは関西から始まったもの。誰がいつこの顔ぶれに、と定めたのかは不明。時代によってこの顔ぶれに異同がある。猩猩、稲荷が外れたのは、人間の姿ではなかったためとも言われている。
おめでたい存在とされ、七福神めぐりが行われたり、正月に枕の下に七福神の乗った宝船の絵を入れておくと良い初夢が見られるなどとされている。
 イラストは「ぱたぱたアニメ館」から
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